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第1部:基調講演
テーマ「緑地保全の知恵とすすめかた 」

講演者 東京農業大学地球環境科学部教授 進士(しんじ) 五十八(いそや)さん

進士五十八

こんにちは、進士でございます。1時間ほどお話をさせていただきますが、これからあと、3時過ぎかな、田代先生のパネルディスカッションがございますので、いわば前座のようですけれども、緑の基本的なこと、それから、先ほどのごあいさつにもございましたように、市民と行政がパートナーシップを組んで緑を守る。できれば大きな運動にしないと、かなりの部分、税金の問題が実はあります。里山、あるいは農地、そういうものが都市の中で生き残るためには、実は税制が非常に大きい問題なのです。その話は、今日あまりしませんけれども、そういうことがございますので、これは、単に役所が頑張ればいいとか、あるいは市民がサークルを作って頑張っていればいいという程度ではもういきませんね。そういう意味で、少し基本的なところについて5枚ほどパワーポイントを作ってまいりましたので、ご説明しながら、後のディスカッションの参考になればと思っております。

たまたま、この本八幡にわたしの上の兄が住んでいますので、もう何十年も前ですけど、市川で自動車の運転免許証を取りました。ここの教習所が空いていたものですから。そういうことが思い出にありますが、そのころから比べると本当に都市化が進んで、先ほど市長さんのお話だと50万近い大都市になったようです。当然人が増えれば緑は減るわけですが、人がある程度いても緑は豊かだという町は世界中にはたくさんあるわけで、わたしは、人が増えたのでしょうがないのだということではないと。逆にいうと、大勢の人が楽しく、しかも本当のふるさとにして住むには、緑は不可欠ですね。その話をぜひ今日はしたいと思っております。最初に5枚のうちの一つです。こういうのを見ると嫌になりますね。シンポジウムっては文字ばかりでね。しかし、この会議を、一応気を遣って、「2005年千葉県6市緑のネットワークシンポ」って入れておきましたので。なぜ今日必要なのかっていう話をさせていただきます。

都市と自然環境の保全への潮流

92年に地球サミットっていうのがリオデジャネイロで行われたことは、よくご存じだと思います。万博の歴史もそうですけれど、100年前からいろんな世界の動きがありますが、結局万博というのは工業文明の象徴ですよね。クリスタルパレスっていうのはロンドンで造りました。これはガラスと鉄の建物を造るってことを見せたのでしょう。

パリはエッフェル塔を造りました。これも博覧会ですよ。だから、鉄とかガラスですごい工業文明を造るっていうのを見せたのが、実は博覧会の最初ですね。 ところが最近になると、愛知博がそうでした。環境をテーマにするでしょう。その前は花博でした。ですから、花とか環境をテーマに変わってきたわけですね。これが時代の象徴であります。

直近でいいますと、今言いましたように92年に環境基本法というのができ、地球サミットが行われて、日本政府も、初めてということではないのですが、環境庁そのものはもっと前からやっておりましたが、一応政府全体で環境を基本に置くということになりました。国の政策が環境にシフトしました。その前は環境っていうと、あれは環境庁の仕事だというふうに割り切っていたのですが。そうじゃなくて政府全体が環境をテーマにしなきゃいけないということを確認しました。それが環境基本法だと思います。

そのときに、循環とか共生とか参加という言葉が使われました。それから98年に、これは5全総といいますが、全国総合開発計画というのがありますが、これの第5次は国土のグランドデザインという言い方をします。つまり、日本の21世紀をどうする。そのときに、ここにちょっと書いときましたが、多自然居住ということですね。都市再生っていうような言葉を入れることですね。都市再生がぐんと進んで新しい法律も出来て、東京は今大騒ぎですね。首都圏は大騒ぎですが、都市再生が超高層ビルを並ばせるだけでいいのかどうかというのは、はなはだ疑問で、わたしはそこにちょっと危惧感を持っています。それは後で、それをフォローする仕事をやっています。もう一つが、美しい国土を作るというものです。

わたしも田代先生も同業者でありまして、造園学というのを専門にしております。学生時分から勘定すると、もう40年わたしはこういうことをやっているわけですね。40年間やっていて、昔は、緑はなぜ大事かとか、いろいろ説明しないと納得してくれなかった。緑があるとこういう効果がありますということを研究した時期があります。そうしないと納得してくれなかった。でも、今日お集まりの皆さんは、緑がなぜ大事なのかといちいち説明しないといけなという人はいないと思いますね。とにかく必要なんだということは分かっていただいている。そういう意味では、緑というものを守ることだけではないですね。緑を守るのは、わたしは手段だと思っています。緑を守って何を目指すのか。美しい国土を目指すわけですね。美しい国づくり。

わたしは今、NPO法人の理事長、頼まれ理事長もありますし、そうではないものもありますが、いろんなことをやっておりまして、この一番下に多摩三浦丘陵会議という、これはわたしがNPOの理事長をやっている「みどりのゆび」というのがありまして、実は三浦半島と多摩丘陵を一緒に守ろうという会議を来週やります。これは緑を守る。そのときに、そのちょっと上を見てください。2002年のときに、「首都圏のインフラとしての自然環境保全計画」というものをやりました。これもわたし委員をやりましたが、いわゆる国交省になってからですね。国土庁とか環境庁とか運輸省とか、いろんなところがやりましたが、国土交通省に代わったときに始まったのですが、都市再生といってやたらと首都圏にビルばかり建てるけども、それじゃ駄目じゃないのと。そういう建物を造る一方で自然環境を守らなければ首都圏はやっていけないでしょ。インフラというのは生きていくために絶対に必要なものですね。水道とか道路とか鉄道とか、みんなインフラといいますが、自然もインフラだと。そういう言い方で始めたものです。

都市再生特別措置法というのは、どちらかというと、アセスメントは要らないとか、いろんなことを自由化してどんどんビルが造れるような、ちょっと財界主導の動きになったのですね。それに対してそれじゃまずいよというので、我々がちょっとだけ頑張った。まだ頑張りきれてないので、今日のような皆さんの会が必要なのです。この首都圏のインフラとしての自然環境保全計画の一部を多摩丘陵、それから三浦丘陵をつないで、首都圏の一角を守れないかということを我々はやろうと思っている。これは「みどりのゆび」ということで、わたしはやっています。

美し国づくり協会もう一つは、実は「美(うま)し国づくり協会」というのを去年から始めました。これは頼まれで、国交省の最初の事務次官が青山さんという方なのですが、これ河川屋さんですけど、非常に景観というものに関心を持ってくれて昨年、景観法が出来るのですが、それの元になる「美しい国づくり政策大綱」というのを作ります。これは、今申し上げたように環境も大切、緑も大切ですね。いろんなもの、歴史も大切。そういう全部ひっくるめたのが、実は景観ということなのですね。ですから、日本の将来は、自然環境も守るし、あるいは都市の活性化もやらなければいけないし、歴史環境の保全もしなければいけませんが、そういうのをまとめて全部面倒見ると、景観、風景ということなのですね。

ですから風景で考えよう。今までは個別の要素で考えていたのですけれども、それを全体として見よう。風景というのを私は、風景の目で見ようと言うのですね。ぱっとこうやって、皆さん目をパッチリ開けてください。そうすると、文字だけではなく、この周りのスクリーンの黒枠も見えるでしょうし、あんまり好きではないかもしれないけども、わたしの顔とか、こういうきれいな花がありますが、全部見えますね。風景の目で見ると、主役というか、テーマだけじゃなくてすべて見えます。今まではターゲットを絞ってきたのです。

公共事業で、例えば道路を造る。道路整備だけやるのです。道路をずっと通そうとするでしょう。そうすると、大きい道路を真ん中へ、なるべく最短距離で通そうとするとまっすぐに引きますね。町や村は連担しているわけですよ。そこへ1本通してしまうと、実は村が二つに分かれてしまうわけですね。コミュニティーが崩壊してしまうことになる。コミュニティーが分かれてしまう。せっかく一つでまとまっていたのが、道路が通ることによって分かれてしまう。だけど、そんなことを気にしないで道路は造ってきたのです。これまで。どんどん買収して買って。そうしないと道路網がこんなに普及しませんでしたからね。でもそういう、道路は成功するのですけども、コミュニティーは崩壊すると、いつでも相反することが起こるわけですよね。

河川もそうでしょう。治水工事で真間川が有名ですけども、治水工事をやる。洪水を防ぐ。これ大事なことなのです。だけどそれをやると、片方で生き物がいなくなってしまうとか、農業との関係であまり連続感がなくなるとか、必ずそういうことがある。だけど、戦後50年間はそんなこと言っていられなかったのです。道路がとにかく不便だと。これじゃあ競争力がつかないというので道路を造らなければいけないし、洪水もやたら起こるから、これは治水工事が必要だというのでやったのですね。それぞれ専門家がいるわけですよ。河川の専門家、道路の専門家、下水道の専門家。それぞれの人は、みんな一生懸命やっている。そして道路率を上げる。下水道普及率100%にする。頑張る。悪いことじゃない、ただ、あまり急いでやったものですから、気配りできなかったのですね。ですから、道路を通す代わりにコミュニティーがちょっとおかしくなった。

今になってみると、本当は道路も通さなければいけないし、コミュニティーも大事だし、自然も守らなければいけないし、歴史も守らなければいけない。だけど、自然や歴史を守るだけではなくて、経済も活性化しなければいけないというわけですよね。本当の街づくりというのはそういうものです。だから、全体を見ながらやっていくというバランス感覚が大事なのです。これが風景の目でものを見るということですね。

風景の目で見るというのは、わたしや田代さんの商売はそこなのです。後でお話ししますが、ランドスケープといいますが、風景の目でものを見る。それは、とりもなおさず皆さんの目なのです。つまり、専門家ではなくて市民の目なのです。市民というのは懐具合も考えているし、隣近所との付き合いも考えるわけですね。もちろん環境を守ることもあるが環境を壊すこともやるわけで、そのバランスの中でやるという感覚は、むしろ専門家より市民のほうが鋭いですね。今日は後でガールスカウトのお嬢さんたちが出るそうですが、そういう子供の目もとても大事です。子供だと平気で気を遣わないで、「あれ、変じゃないの」って言うわけです。そういう感覚も大事だっていうことですね。今、ちょっと話がそれましたけれども、美しい国という全体を考えていこう。日本中を美しい、本当にふるさとと呼べるような、そういう国にしよう。ガーデン・アイランドなんていう言葉も使っております。

あとは、食料・農業・農村基本法。これも、昭和36年に出来ました農業基本法という法律は、実は農家の所得、これをサラリーマン並みに上げようというので、もっぱら金がもうかる農業を目指したのですね。

実際はあんまりもうからなかったのですが、それで、農地を整備したり、大量に化学肥料を投入したり、農薬を使ったりすることになった。その結果、逆に環境問題のほうが言われるようになりまして、あるいは農家自身が病気になったりして、反省しました。新しい食料って言葉と農村という言葉をくっつけた法律に変えたのです。これは、農業という産業、つまり生産性だけ考えるのではなくて、グローバリーな視点で食糧問題全体も考える。自給率のようなことも考えなきゃいけない。農村は暮らす場所であり、生活の場所である。今までの農政は、もっぱら反当たり収量をどうやって上げるかということだけ考えていたから、お嫁さんがあんまり農村へ来なくなっちゃった。みんな出ていってしまいましてね。農村は最高だと。こんなごちゃごちゃした都会よりずっと最高だって、今やっとそれが分かりつつあります。

だからわたしの教え子なんかでも、横浜の男の子と仙台の本屋の娘がくっついて、結婚して、今農業始めましたよ。その農業も田んぼだけじゃない。みんな少しずつなのですが、田んぼも畑も、ヒツジも飼うし、ニワトリも飼うし。ついに彼女は、嫁さんになったほうは、お産も病院でやるのはやっぱり変だと。「お医者さんが5時に帰んなきゃいけないから、3時ごろから生ませちゃおうか」なんていうのはおかしいっていうので、自宅分べんを産婆さんでやる。そこまで自然を考えようなんていう人まで出てきました。そういうふうに農村も暮らしの場所であるという当たり前のことを考えるような、そういう若い子たちが出てきました。ですからわたしは、今、前途有望だと思っていますね。ここにおられる半分ぐらいの方はもう大分疲れていますけど、これから期待できる人はうんと後ろにいるのだということです。

そんな農業・農村も、物の見方をガラッと変えて、環境ということを考えるようになってきました。いわゆるオーガニック農業、有機農業ばかりではありません。

この間、10日の日に、休みですが、今わたしは田園自然再生コンクールという、農水省と環境省が行っている、審査委員長を引き受けていることから佐渡に行ってまいりました。佐渡はトキという鳥がいますね。もう絶滅してしまったのを中国からもらって、今80羽ぐらいまでまた戻ったのですね。これを野生復帰させる。ついこの間、コウノトリというのが、豊岡という兵庫県で9羽、野生復帰させましたけど、野生復帰するには、かごの中でのときは全部えさをやるのですね、ドジョウなんかこうやって、だけど、野生になったら田んぼでついばまなければいけないから、田んぼが農薬漬けだともう駄目ですね。

それで、豊岡もわたしコウノトリの国際シンポで講演しに行ったことがありますが、農家も一緒になってコウノトリが戻れるようにしようと、だから今は、水田も無農薬に、あるいは減農薬なんですね。その代わり米が取れるのが少し減るでしょう。その分はコウノトリ米という名前のついたブランド米にしたのです。これで2、3割高くても買ってくれる人がちゃんと出てくる。つまり、農薬漬けでないお米だっていうので、安心だって買ってくれる人が出てきて、結果的には豊岡の農業は、逆に元気になるということになってきました。

棚田

佐渡も棚田がたくさんあるのですが、ビオトープ田といって、もうほとんど田んぼ。わたしはちょっと問題だっていうのだけど、米は全然作ってないで、セリとかね。まるでこれはただの池じゃないかと思って。ドジョウやメダカはいっぱいいるのですけど、そういうのになって。本当は農業生態系といいまして、田んぼはお米もなければいけないのですね。米があって、その下にドジョウがいたりナマズがいるのですね。タニシもいるのですよね。カワニナもいるのです。だからホタルも出てくる。だけど今は佐渡のほうも、小佐渡と大佐渡っていうのですが、小佐渡のほうは今言ったコウノトリが生きるというので一生懸命やってんですが、平野部のほうの農家はまだ相変わらず農薬漬けをやっているものですから、そのバランス上どうしてもこっちは完全に田んぼは全部ビオトープにしようと。鳥が来てえさが食べられるようにしようとやっているわけですね。そんなことが日本中で起こっています。そのときに農家だけじゃなくて、都市の人が農村に行って応援するという、そういうことも起こっています。だから市民もそれぞれ交流が始まっている。農村も大きく変わりつつあります。ぜひ、お嫁さんに行ってもらいたいと思います。

循環型社会形成推進法、林業基本法というのも、山というのは普通、木を植えて切ってそれを木材にして売っている。山というのは、元々は木の畑だったのですね。木材を取るための畑だったのです。だけど今は森林のままを生かそうという……。先ほどフィトンチッドの話をされておられましたが、そういうことで森林というのがくっつきました。林業というのは経済的に見た山のことですね。森林というのをつけたのは、環境としての森林ということをもう1回見直そう。今日のテーマである里山も同様であります。

あとは自然再生推進法。これは、わたしは自然再生推進専門家会議のメンバーにもなっているのですが、実はこの法律を作るときからちょっとお手伝いをしておりましたので付き合っているのですけれども。本当は自然を再生しなくても守っていなければいけないのですが、壊しすぎたものですから再生するしかないのですね。そういう段階まで来てしまった。

そういうので、今は自然を再生しようというのが、知床のような所はもちろんですけど、西表もそうですけども、そうじゃなくて、この首都圏、大都市圏でもこれが動き始めています。これこそ、この法律のテーマはNPOが頑張るという仕掛けになっています。NPOがあそこの自然を守りたい。霞ヶ浦でも手賀沼でもいいんですよ。そういう協議会を作れば、そこに行政は全部全面的支援をするという、そういうふうに書いてある法律です。あとは土地再生特別措置法。先ほど言いましたように、自由化して、なるたけ建築が造りいいようにしてしまったんです。それで、先ほど言ったように自然環境のほうもやりました。

あと、子供たちのためには、環境教育というのをしっかりしとかないと駄目です。どうしてこんなに環境がおかしくなったかというと、環境なんかどうでもいいから金もうけだけ考えろというのをずっとやってきたようなものなのですね、ちょっと言い方は悪いのですけど。非常に工業化を進めたり、わたし農業大学ですから、農学系なんです。わたしはこう言ってるんです。大体これまでの戦後の、世界中文明国はほとんどそうですが、工学部系が頑張ったのですね。コンピューター社会を作ったし、さまざまな機械を作って。ビルも超高層が生まれてね。今、超高層マンションに住んで、東京湾が一望に見えるっていうのでかっこいいっていうわけですね。

だけどあんな何十階という上へあがったら、子供は隣の子と遊べないですね。外へ下りて草原で遊ぶこともできませんよね。高速エレベーターでビーッと下りてこなければいけないのですから。大体、自閉症の子供がいっぱいできているわけですよね、昔から高層ビルでは。ドイツなんかは、高層住宅は基本的に否定しているのですよ。日本人は相変わらずまだ、工業文明のほうがかっこいいっていう気持ちがみんなにありますからね。どんどん高層ビルが増えている。オフィスならしょうがないけど、住宅まで。つまり子育てができる、本当に子供を育てるという環境はどういうことかって、やっぱ自然環境なんですよ、人間は動物ですから。そういうことを言っておかないと駄目なのです。今の大人も駄目ですから、将来に期待するしかない。だから環境教育ですね。子供のころからしっかり環境教育をやろう。ああ、もうくたびれましたからやめましょう。

こんなことで、なぜ、今日、6市の緑のネットワークシンポジウムが行われるかというと、こういう大きな時代の流れで、この10年環境の時代になり、市民も行政もそういうセクターを越えて協力して頑張らなければいけない。そして、この首都圏が最もその必要性の高いところである。大都市、つまり、東京を中心にどんどん人口が増えて高層化が進み、人工化、artificial、コンクリート・アスファルト・ジャングルになっているわけですから、バランス上どうしても自然を取り戻さないとまずいというわけです。さて、今1枚目ですから、あと4枚で終わりですが、最初、緑ということを理解していただきたいですね。

一応わたしも62歳になりますので。わたしはおやじが58歳で亡くなったんです。名前が五十八とついているんです。別に死ぬとき生まれたわけじゃないんですが、50歳のときの子なのですけど。少しずうずうしくなって、自分の本をPRしとこう。

緑のネットワーク

この間、中公新書で『日本の庭園』っていう本を出したのですが、ただ、結構やっぱり見てくれる人がいるので。これはずっと昔です。三十何年近く前の話ですが、緑というのを、このころは『緑からの発想』という本を書かないと分かってくれなかった。緑がなぜ大事かというのを説明しないと納得してくれなかったんです。それでこういうのをやったのです。

緑の意味は三つ。まず、緑には3種類あるというのを頭に入れていただきたいのですね。緑って一言で言うけど、実は3種類あるのですよと。鉢物のような、室内に置かれた緑ですね。今は、屋内の緑化とか、インドア・グリーンとか、いろんな言い方しますが、そういうものですね。それを小自然。わたしは動物に例えるとペットだと思っています。それから二つ目は、都市の中の緑です。並木とか公園とか。これは緑で言うと、家畜だと。野生の動物に例えれば家畜だと思っています。家畜とペットの違いは、ペットは人間が全部手を入れて、水をあげたりいろんなことやってやらないと育たないものですね。家畜のほうは、少し自分では生きられるのです。だけど、もっと大きい野性。今日の主要なテーマでありますが、里山のようなもの、あるいは山や海や川や大きな自然ですね。本当の自然です。これが必要なのです。例えて言えば、緑には小さな赤ん坊のような生命感を……。みずみずしいとか、生き生きしているとか、そういうのですね。逆にいうと花は、「花の命は短くて」といいます。朝パーッと咲いたきれいな朝顔も、夕方はしぼんで、明日には花がらになってしまうのですね。これが命というものなのです。

そういうものを感じるのは、大きな木からは感じないのです。木は見ている間には変化しませんから。10年、20年で変化するのですからね。小さな緑を見て命というものを感じるのです。中くらいのでは、春、夏、秋、冬。紅葉する木、落葉する木ですね。新緑の美しさ。こういうぐらいの4シーズンで変わっていく。これが木の持っている良さです。その木が林になり、森になって、まとまった山になってしまいますと、そういう一つ一つは感じません。安定感といいます。どっしりとして、その自然があるからこの地域が生きていける。水の流れも温度もですね。それから、暖かく人を包んでくれるような感覚ですね。こういうものもあります。皆さんが今座っておられる背もたれがあるでしょう。この背もたれなのですよ、緑は。だから、安心して寄りかかっていられるのですね。もし後ろに緑がなかったら、バタンといってしまうでしょう。この山とか川というのはそういうものなのです。それそのものを注目はしないけれども、それがあるから安心して生きられるのです。

国土の7割が森林だという日本。あるいは国土の4、5割が農地であります。こういう大きい自然がしっかり健全でなければ、われわれ人間の、それこそsustainableといいますが、ずっと長生きできないのですよね。そこを忘れているのです。

注目度は花だから。だけど背後にある、花ではなくて緑のほうも大事なのですね。この三つで分けて考える。ペットは赤ちゃんだとすれば、情緒性のほうはお母さんで、安定性はお父さんかもしれませんね。それぞれ役割があるということですね。この3セットが必要なのです。つまり、三つで初めてセットになるのですよ。

「大きな山が上高地や大雪や西表に行けばあるから、この市川も松戸も、もう緑なくていいや」というわけではないのですね。それぞれに必要なんだということですね。次が緑の意味です。緑というのは英語でgreenといいます。これはアリアン語でghraという言葉です。これの意味は、成長するという意味なのです。

だから命ですね。成長するのですから命です。ホンコンフラワーとか人工芝は駄目です。あれ、成長しませんもん。死んでいるのですから、最初から。ですから、緑というのは緑色にすることじゃないのです。今日皆さん、ブルゾンというか、行政の人かNPOか知りませんが、みんな実行委員会で大変ですね。ご苦労さんですが、ちょっとケチつけちゃ悪いけど、ああいう緑は良くないですね。人工の緑は駄目。やっぱ本物の緑がかっこいいから見劣りしちゃうんですね。緑の街づくりだから緑色にしようってみんな考えるのですけども、これは考え方が浅はか。本当の緑の大切さを理解するには、緑は絶対人工の色を使わないことです。本当の葉っぱの緑は、本当にきれいですよ。こういう緑はみんな色が違うのですよ。ベゴニアの葉っぱは少し明るい緑でしょう。こちらのツツジのほうは少し濃いでしょう。緑は何百種類って色があって、みんな1種類ずつ違うのです。この味わいの深さがあるのです。ああいう人工的な染料で染めたものは1色でしょう。まあこのぐらいにして。

次、緑はどういう量が必要か。これは、わたしが昔、研究した。72年ぐらいのときですかね、発表したのが、1972年にやったもので、グリーン・ミニマムといいます。この1辺が300メーターだとします。大体300メーター四方でお母さんたちは子供を連れて歩き回ったりしているのですね。生活の範囲です。その中に半分自然面がなければいけないというのが結論です。

半分というのはこちらから半分ではないですよ。あちこちに散らばって全体で半分。ちょうど世田谷区の成城ですが、成城学園の町、あれがちょうど50%です。草も木も、それから土でも構いません。多摩川の河原のような砂利原でも構いません。降った雨がしみ込んだり、空気が入ってバクテリアが生きられるような、いわば生きている世界ですね。生きている地面が半分必要です。

そうすると降った雨はしみ込むでしょう。だから洪水にもならない。水は蒸発しますから。そうすると、土の中の水はずうっと蒸発する。舗装した、インターロッキングの中のしみ込んだ水でも、2週間は蒸発を続けるんです。ヒートアイランド現象を抑えることになるでしょう、水があれば。六本木ヒルズの低層階の屋上の田んぼは、わたしが提案したのですが、森社長にそういう話をしたのですね。設計変更してあの田んぼにしたのです。森ビルの屋上の田んぼはたった米が4俵しか取れませんから、農業としてはもちろん成り立ちませんが、しかし象徴的に、大都会といえども「農」ですね。日本の文化は農なんですね。すべて収穫祭でも何でも、みんな農業の起源。春祭りも秋祭りも農業でしょう。正月の行事も農業なのですよ。だから日本人の心の底には農業があるのですね。そういうものをチャラチャラした六本木族に見せたいっていうのがわたしの信念です。それであれをやったのです。

それから形です。これは有名な話なのですが、エメラルド・ネックレスっていうのがボストンで、われわれの分野の大先生が考えたんですね。オームステッドという人ですが。これがエメラルド・ネックレス。エメラルドっていうのは緑ですから、緑の宝石ですね。ですからボストンの町を、ちょうどネックレス、首輪をやるようにずっと緑で包んだのですね。市川には市川のエメラルド・ネックレスが、松戸にも……。あと6市あると全部言わなければいけないかな。鎌ヶ谷も、というわけであります。ネックレスぐらいないとね。

3年前か2年前だか忘れましたけど、中央線がありますね、総武線の延長に。中央線は、大体三鷹ぐらいからかな、まっすぐなのですよ、あの電車。何にもないときに通しましたからね、まっすぐ。これを複々線にするので高架化してやろうというときに、高架化するには中央線を今、通ってる線路以外に同じ面積また横へ買わなければいけないのですね。高くして工事をやっておいて、電車を上に乗せ直して。こっち片方空くでしょう。その空いたことねらって、中央線緑のネックレスを作ろうっていう、やっぱりこういう、6市だったか8市だか忘れましたが、その仲人をやったことがあります。武蔵野市とか、この間、国会議員のチャンバラやった土屋さんですね。三鷹の市長とか日野の市長とか、いろいろ来ていました。それもやっぱ連続しなければいけないから。一つの自治体じゃ駄目なのです緑は、言ってみりゃ今までの緑化は、点的な、ポイントだけの緑化だったのですね。公園をここに造ります。そうじゃない。ずーっとつながんないと意味がないですからね。

万里の長城

わたしが言っているのは、かつて秦の始皇帝は中国に万里の長城を造った。今、人工衛星から写真撮っても、あの万里の長城は写ってるわけですよね。その後の政治家は一体、何やっているのですかと。何にもやってないじゃない、そういうものはね。だからわたしは、いよいよ21世紀、市長さんたちにも頑張ってほしいです。緑の長城を築こう、とね。現代の緑のネットワークを作ってほしいですね。そういう文化遺産こそが、やっぱり長い目で見たときに評価されるのではないかと思っているわけです。

万里の頂上あと、都市河川座標軸という言葉も、1975年ごろわたしが提案した。多摩川なぜ大事なのか。隅田川がなぜ大事なのか。江戸川はなぜ大事なのか。川というのは、ただ昔は邪魔だと思っていたのですね。渡らなければいけないしね。そうじゃない。空から見ると、川が額縁になっているのです、絵でいうと。だって、ずうっといらかの波になってしまったから。ここにある連続した自然は川しかないのです、今ね。川は生き物が生きていける。もちろん水は蒸発するしね。風景の枠組みなのですね。この川の大切さに気づかなければいけない。川は何にもないんだというふうに。何にもない空間が大事なのです。

今までは何か作ることばかり考えていたのですね。川原まで、もったいないっていうのでサッカーグラント作ったり、野球場作ったり。そうではない。それをこれから撤去していく時代ですね。そして本当に草が生え、昆虫が来て、鳥がさえずり、涼しい風が通る。そういうものが都市の中に座標軸でなければならないのではないかと思うのですね。こういうふうに、大きなまとまった緑とか、あるいはずっと連担する川と、そういうものの大切さにこれからは気づかなければいけないと思うのですね。今まではどうしても目立つものにいっていたのですね。目立たないものが、実は目立たせたいものを目立たせてくれるのです。

これで、緑は半分、50%必要だっていうことと、連続したつながったものでなければいけないってことをお分かりいただけたと思います。わたしは、そういうものをつなげる考え方を四つのネットワークと言っているのです。オープンスペースのネットワーク。これは防災なんかがそうですね。建物が建っていない緑地、オープンスペースといいますが、そういうのがずっとつながっているということ。できれば、今までは自治体単位に緑地計画作っていますから、市境で切れてしまうでしょう。これ、連続したほうがいいですね。

それからエコロジーネットワーク。生き物は、そういう緑をたどりながら動いていくのですね。もちろんトンボとか鳥のようにポーンと飛ぶことができますから、横浜の小中学校みたいに全学校にビオトープを作りまして、横浜全体が全部トンボの範囲になったんですね。これ、エコロジーネットワークですね。トンボは飛びますからね。生き物が連続する。

市川地面でいえば、水がちゃんと連続する。地下水がつながる。そういうことですね。それからコミュニケーションネットワーク。これはわたしが勝手に作った言葉です。緑があると市民同士が仲良くなれる。先ほども、こちらにたくさんのNPO団体があってご紹介がありましたが、何とかの会というのがありますね。市川の特徴は、国府台の風景ですね。それから、黒松の平地林の風景は風致地区という言い方で、まさにこの市川市の特徴だったのですね。市川というと文化人が住むいい町だっていうイメージがあった。それは風致というものですね。緑豊かなアメニティーということですが、それがここの価値だったはずなのですね。水郷地帯も同じことですね。松戸なんかもそうです。川の風景もそうですね。柴又の寅さんではないけれど、ああいう矢切の渡し、矢切だけではないけども、渡しは多摩川にもありましたし、みんなあったのです。そういう風景ですね。そういうものを評価していたわけですね。そういう場所では大体人が集まっていたのですね。昔でいうと行楽といいました。今はレクリエーションといいますが、物見遊山とか行楽地。そういう場所を造園家では景園地っていう言葉を使うのですが、景色のいい場所ですね。

城ヶ島のような所もそう、湘南海岸なんかもそうですね。そういうものが、川沿い、海沿い、あるいは丘の上にあったわけです。里見公園なんかもそうでしょう。そういう場所をちゃんとつないでいくということはとても大事なことなのです。公園というと、防災で逃げ込む場所だとか、子供を遊ばせる場所だという、それだけではない。それを超えて、今、言ったコミュニケーション、多世代の小さなお子さんからお年寄りまでが付き合う場所。市民農園なんていうのはそういう場所ですね。市民農園だと一緒に花を作ったり野菜を作ったりしますから、そこでいろんな人と知り合うのですよね。サラリーマンだけじゃなくて、今度は農家の人と知り合える。農家は物知りですよ。今のサラリーマンは一姓か二姓だけど、わたしは農民を百姓というのだと。100知っているんですよ、姓というのは「かばね」。かばねは苗字。苗字は職業を表しました。職業は能力です。たくさんの能力がないとできない仕事が百姓なのですよ。百姓っていうと何か悪く言うみたいに言うから、わたしはとんでもないと。百姓(ヒャクセイ)というのですね。ヒャクセイというのはたくさんのことがやれる人。サラリーマンはパソコンだけとか、銀行の人はお金の勘定だけとかしかできないでしょう。だから、肉体も頭も友達付き合いもボランティア精神も、みんな持ったのが本来の百姓です。そういう百姓と付き合うことの豊かさというのがあるのですね。

わたしはNPO法人でもう一つ日本園芸福祉普及協会とも付き合っています。園芸福祉という言葉を使っているのです。園芸に福祉をくっつけたのです。園芸というのは花や野菜を作ること、福祉というのは幸せになることです。だから、花や野菜を作って幸せになろうと。市民農園でもいいし、福祉農園でも学校農園でもいいんです。そういうところで付き合うことによって幸せになる。わたしはこれを環境福祉と呼んでいます。

お金今まで、幸せにすることはお金で幸せにしようとしたのです。だから、ただのバス券を配るとか、特養老人ホームに収容してやるとかいって、施設に入れるとか金を配るってことで幸せにする。だけど、それだって、今、年金問題が破たんしかかっています。あんなものを期待してもしょうがないのだから。いい環境でいい仲間と楽しく時間を過ごすというのが幸せだという価値観を持ってもらいたい。こう思っているのです。それが環境福祉という言葉です。経済福祉から環境福祉への転換です。そういうためには緑地が重要で、それはコミュニケーションネットワーク、つまり人と人が、人と自然が交わっている、付き合っている。そういう場所として緑はとても大事です。

里山のボランティア、里山の保全をやるには、擬似自然ですから手入れが欠かせません。大きな大自然との違いはそこにあります。農地もそうですね。草も取らなければいけないし、堆肥も作ってやらなければいけないわけですね。そういう作業を通じて、しかし、楽しみなのですよ。いろんな知恵を学べるのですね。いくら学校の成績が良くて偏差値が高くたって、堆肥の作り方知らないでしょう。だから、みんな現代人は無能なのですよ、本当は、生きる力からいうといろんな人に助けられて生きているだけでね。だから、ぜひ三姓か五姓の皆さんは、百姓目指して頑張ってほしい。かっこ悪いからトータルマンとわたしは言っているのですね。人間が持っている能力をフルに発揮できることこそが人生の幸せだと思うんですね。

緑地保全は市民と行政のパートナーシップで

最後は、ランドスケープネットワークというのです。これは風景ということで先ほど言いましたが、この市川の街は黒松の平地林というので本当に豊かな……。だから小説家が住んだり、画家が住んだりしました。茅ヶ崎辺りも同じです。そういう場所は日本にたくさんあるのですね。これは風景としてのすばらしさなのです。ただ1本、2本じゃ駄目なのですね。ずうっと……。1本1本はすばらしい木じゃなくたっていいんです。枝ぶりは少々乱れていても構わない。とにかく、たくさん集まっていることの風景の良さですね。

この四つのネットワークのために、緑のネットワークが必要です。そしてこれは一自治体を超えて、今回のように6市、8市とつながってほしいと思っています。わたしはこの自らの発想のサブタイトルに、共同設計論という言葉を使います。今の街づくりは、わたしから言うと非常にふざけている街。アーバンデザインという言葉の下に工業製品で覆いつくしているのです。舗装は全部コンクリートでしょう。確かに商店街なんかでかっこいいけれども、電話ボックス、彫刻、いろんなオブジェが並んで。パブリック・アートってかっこいいですよね。だけど、でかいアート、彫刻を置くとして、それがかっこよく見えるのは後ろに緑のいい背景があってこそですよ。放置自転車がダーッと並んでいるとこへ彫刻置いたって、ごみがまた一つ増えたようなもんでしょうが。その感覚をもっと知ってほしいと思うんですね。

今の都市づくりは、建物も立派、看板も立派、彫刻も立派になりました、一つずつは。しかし、それが風景としてまとまって見えています。もっと言うと、そういうのは全部工業製品ですから、北海道も沖縄も同じ風景になります。新幹線の駅前を見れば分かるでしょう。どこも同じ。金は結構かけている。ところが昔の農村は、2000年来の、それこそ百姓のデザインというのがあって、川原から拾ってきた石を積んだり、そこら辺の土地に生える木を郷土樹木といいますが、ふるさと樹木で生け垣を作ったりしてね。それでもなかなかのもんですよ。九十九里のイヌマキの風景というのはもう最高ですよ。そういう最高のいい風景を先祖は作ってきたのに、子孫のばかは……。言っちゃいけませんかね。ここに3分の1ぐらいそういう人がいるはずだから言いますが、金持ちの農家ほどブロック塀に取り替えてしまうんです。「手数かかんなくていいや」とかなんか言ってですね。そうじゃないでしょう。本当のお宝をみんな捨ててきたのです。安っぽい人工物に替えてきている。それがアーバンデザインと称していい街だと思っている。土地には土地らしさというのが必要なのですね。その土地らしさの根本は自然なのです。地形とか地質とか植物ですね。もう一度そこへ目覚めてもらいたいものだというのがわたしの主張でして、ふるさとを再生するためにそうなる。ちょっと、時間の関係がありますので……。

次いきましょう。今度はそういうのを進める方法です。皆さんは市民と行政、特に行政の方も多いようですので、簡単にこれは述べます。でも、進め方というのはやみくもにやっても進みませんからね。目標はアメニティー、方法はランドスケープ、これがテーマですね。目標は、何のためにやるかですね。緑化、緑化っていうと、緑に化かすことだと思うでしょう、文字通り。だから緑にすればいいと思う。そうじゃないですね。緑にすればいいんじゃ、こんな花は駄目じゃない。これ花です。緑じゃない。そうじゃないですよね。これは生き物、命を手に入れているわけでしょう。そのずっと緑化の目的は、緑化は手段でして、アメニティーのある環境を作るということです。アメニティーって何かといいますと、環境省はアメニティーというのを快適環境というふうに翻訳しましたけど、ひと言で言うと心地よいとか、感じのいいとか、もっと言うと、いい環境が保全されている。例えば、自然や歴史やそういうものがきちっと残っている。そういう状態をアメニティーと言っています。イギリス人たちが考えた言葉。だけどこれが、かっこいい解説すると、アメニティーは、ここに書いてない、語源はアモーレです。女の方が大分今日はいらっしゃいますが、アモーレ。愛するっていう意味、ラブの意味ですね。アメニティーの語源はアモエニタスというラテン語で、さらにその元をたどるとアモーレにいきます。これいいでしょう。愛のある環境。愛のある風景。アメニティーズと複数形にすると、礼儀正しいという意味もあります。だから、礼儀正しいということは、朝「おはよう」、帰りには「さよなら」と、声を掛け合うといういい人間関係です。窓口や応対の良さ、応接の良さもアメニティーといいます。ですから、役所でにこにこと笑い過ぎるといやらしいけれども――ほどほどに笑顔で応対することもアメニティーです。緑が豊かで、自然が、鳥が、花が咲き……。それもアメニティーです。すべてわれわれ人間にとって好ましい状態がアメニティーだと思ってください。

そういうことをやるために緑化もやり、自然保護もやるのですね。緑化と自然保護からいうと、農地なんか無縁だと思うでしょう。そうじゃないですね。アメニティーからいうと、農地の保全もものすごく大事なのですよ。実は後で、コーディネーターであられる田代先生は、昔都市農地論でドクターをお取りになった。そういう意味では農地の大切さにいち早く気がついた人です。最近あんまり農地やらないですね。もう農地なくなっちゃったような……。いずれにしても、農地も大事なのですよ。なぜなら、公園での緑は観賞する緑、使う緑が多いでしょう。農地の緑は育てる緑ですよね。そして食べられるんですよ。果物とか野菜は食べられる。人間生きるために食べなければいけないのだから。食べるということはものすごく大事なことです。そしてそういうことを通じて見る緑は、ひときわ愛着を感じるはずですね。意味を感じますね。農地の緑だって大事な緑なのです。ですから、里山も大事だけれども、いろんな緑が大事だと申し上げたい。そうやってアメニティーを作る。その方法は、ちょっとここ我田引水なのですが、われわれ、ランドスケープといいます。われわれの方法論から考えていただくと。ランドスケープというのは、こっちに書きましたが、土地と自然。ランドというのは土地のことですね。土地や自然を大事にする。もっと言うと、坂とか川とかこの尾根、丘、水辺、海岸。いろんな自然がありますね。そういうものを生かすということですね。谷を埋めて谷津をつぶして、宅地造成して真っ平らにして作ってきたのですね。だけどそうじゃなくて、谷津を上手に生かした使い方というものがあるでしょう。坂も、坂があるのはかえって使いづらいと思って、今まで道路でも何でも、ピアを建てて、上がったり下りたりしない街をつくってきたのです。逆に坂の良さというのを今は味わう時代になりました。坂の上へ上がると遠くがよく見えるとか、坂が変化して山を登った気分になるとかというのがあるわけですよ。そういうことですね。土地、自然を大事にする。それからスケープというのは、端から端までという意味です。

客席から私を見ると私の後ろには、大きなスクリーンも見える。両脇も見えるのですね。手前も見える、真ん中も見える、遠くも見える。これを近景、中景、遠景といいます。パノラマっていうのは360度見るということですね。だから、昔の広重なんかの江戸名所百景なんか見ると、品川の帆掛け舟がある。その手前に浜離宮の、浜御殿の緑が、遠くには富士山がぽっかり浮かぶ。富士山はうんと遠いとこにあるのですよ。だけどその富士山をちゃんとかいて、中間の品川の港にいっぱい船があって、そして手前に人の顔まで見えるような緑が描かれている。近景、中景、遠景といいます。

つまり、全体で見ている。分かりやすく言いますと、生活も生産も。わたしはいつもこれを言うのですが、アメニティーというと、何かおしゃれな街だけつくるっていうふうに勘違いするのです。そうじゃないのです。生産活動がしっかりあることです。われわれは仕事をして生きているわけです。だから、工場もものすごく大事なのですよ。工場を全部追っ払って緑の住宅地だけ造ればいいと思っている人がいるけど、とんでもない間違い。ただ、公害を出す工場は困るから、公害対策技術はしっかりやらなきゃ駄目ですよ。だけど、物を生産する場所はなければ駄目。わたしは子供の育ち方を見てつくづく思うのはそれですね。わたしはたまたま東京の下町の木場で育ちましたので、近所に呉服屋もあればパチンコ屋もあるし、とうふ屋もあるし、雑貨屋もありますし、ちょっと行くと、とび職の親分もいました。坊さんも、お寺もあの辺にいっぱいありまして、墓場でわたし遊んだのですけど。つまり、人間が生きるということは働くことだというのを見て育ちました。

木場の材木屋さん。あれは材木屋の大きいのこぎりをこうやる、なんか目立てみたいなとか旋盤みたいのとかね。ところが、わたしは大学のほうへ残って大学教師して家庭を持ってからは、いわゆる林間都市っていうのですが、小田急が造った田園都市のような所へ住んでしまいました。造園家にぴったりだと思って住んだのですが、これはミスりました。もう住宅しかないわけですね。確かに緑は豊か。だけど、わたしだってそうですけど、疲れてぐったりしてテレビ見て寝ているわけですよね。だから娘は、親というのはただ寝転んでいるのだと。人生とは寝転ぶことであると多分見たでしょう。だから、やっぱり仕事をしている風景が日常の中になきゃ駄目。人間というのは生産をして生きているのだってことですね。生産と生活。生み出したものをどう生かすかということも大事です。だから、生産と生活のバランスが大事。経済と環境のバランスが大事なのです。

ところが、こういう集会をやって環境の話をすると、環境だけが大事になっちゃうでしょう。今度は経済界へ行くと経済だけ大事。駄目なのです。両方が大事なのですね。このバランス感覚がわたしはとても大事だと。これを全体相互といいます。風景をつくるときにも、公園は公園、道路は道路、河川は河川では駄目なのですね。隅田公園みたいに、隅田川があるからそのわきに公園を造ることによって、川も公園のようになります。隅田川は船に乗っていても、周りがずっと桜が続いていてかっこいいですよね。

ところが今、行政は、全部縦割りですから。ここからここはうちの所管とかね。学校も、ここは教育委員会がやるものですから、そのつなぎ目がものすごく悪いですね。それぞれは1個1個いいのだけど、全体として見ると駄目で、まずい街が出来てしまった。このスケープですね。全体をスケープとして見る。タウンスケープ、シティースケープとかね。道の風景、ロードスケープ。ストリートスケープ。そういうふうにしてスケープをやってほしいですね。それをやるにはどういう考え方でやるのか。今までずっと緑の理念をお話ししてきました。理念、それからポリシー、政策をやって計画を立てて、プログラム、手順。手順というとかっこいい。これは根回しです、簡単にいうと。根回しをやるのですね。今日だって実行委員の人は大変だったと思いますね。こうやって人に来てもらわなければいけないから、「お前、義理でもいいから来いよ」とか、「来て寝てればいいから、とにかく顔出せよ」とか。物事をやるときにはしっかりとした考え方を持ち、そしてそれを進める。例えば緑を守るにはどうするか。政策は、緑地計画というのを立てて行政的に担保しようというのもあるし、税金を何とかしなければいけない。市民運動をやってやらなければいけないですね。あるいは学校教育の中で森を使うプログラム、環境教育のプログラムをやれば森が生きてくる。森を使う意味が出てくる。さっきの森林浴じゃないけど、市民が入っていけば森は必要だと分かってくれる。そういうことをいろいろ考える。いろいろ360度考えるのが政策というものです。ポリシーを作ることはそういうことです。

ポリシーというのは360度作くらなければ駄目。ハードな事業だけでも駄目だし、ソフトも大事ということですね。それを具体的に、一体いつまでにどういう組織でどういうメンバーでどのくらいの予算をかけてやるのかということが、計画というのです。だから、目標を立てて、ちゃんと着々と進めることが計画です。それをやるには今言った根回しも必要だから、手順をしっかり組まなければいけません。そして最後、形が出来ていくわけです。これをデザインといいます。

松戸の21世紀の森わたしは、デザインというものを、例えば公園を設計するとか、里山を利用できるような、松戸の21世紀の森ではありませんけど、そういうものをみんなに市民に親しんでもらえるようにしようというときは、デザインを考えなければいけませんね。そういうときに、チェックポイントですね。「フィジカル、ビジュアル、エコロジカル、ソ−シャル、メンタル」と書きましたが、要するに使い勝手がいいかどうか。機能性。街でいえば、安全で便利な街だってことですね。それから、美しいということですね。目に見て美しい。それから自然がいっぱいあるかどうか。自然が生きているか。噴水なんか上がっているけれども、見ると泡ふいているよ。あれは、水が循環しているから。あれは、死んでいる水ですよ。あそこへ魚入れると死んでしまいますから。そんなのは水ではないのですよ。水というのはすくって飲みたくなるような、靴下脱いで入りたくなるような水が本当の水なのですよ。そういう水の本質を忘れて、水がありゃいいだろうって、H2Oがあればいいだろうと、みんな思っているわけですよ。それは大間違いですね。だから、エコロジーというのです。水は生きていなければいけない。地域性。市川らしさ、松戸らしさというやつ。らしさが必要です。

だから植物だって違うわけですよ、場所によってね。水辺は水辺、山の上は山。山の上にアカマツがある。海岸にはクロマツが似合うわけですよ。水辺にはシダレヤナギが似合うのですね。それが、らしさ。それから時代。時代というのは、今の時代に何を求めるかということですね。わたしは、ありとあらゆることをやるとき、感動だというのですね。感動というと、貴乃花のときに小泉さんが言ってちょっとしゃくなのですけども、感動。ああいうのが「感動した」って言われると、ちょっと不愉快なのですけどね。ちょっと軽いですよね、あの人の感動。あたしはこれまで一生懸命話してきたから重いでしょう。我田引水ですかね。とにかく、本当の環境との付き合いは感動なのですね。五感といいますが、近江八景とか瀟湘八景とか日本三景。そういうものは、例えば三井の晩鐘というのがあるのですね、近江八景に三井寺の鐘がゴーンと聞こえる。この辺なら、中山の法華経寺の鐘がゴーンと聞こえる。今、ゴーンと聞こえて坊さんも頑張っているかと思ったら、機械がゴーンとやっていたりするから、ちょっとがっかりするんですけどね。目だけではなくて耳からも感じる。これが感動を与えるのですね。触ってみるんですね。これちょっと立派そうだけど、これは印刷かもしれないですね。やっぱ本物に触る。五感というのがそれですね、聴覚や視覚や触覚や。できればなめてみたほうがいいかもしれないですね。そうやって感じる感動が大事。もう一つ、原風景。これは子供のころです。後ほどのパネルディスカッションにお嬢さん2人来ていますが、子供のころ感じた、ちょうどあのころの年ごろにどういう環境で育ったかが、大人になってから美しいものを見て涙を流す心を持てるかどうかになるんです。超高層ビルかなんかでやったのは、非常に合理的に考えているけれども、理屈はうまいけれども感動は与えないというか、とにかく、偏差値だけ高そうだけど、あの人とは結婚したくないという、そういう……。原風景というのはそういう、非常に大事なことなのですね。子供のころ何をもって感動したか。逆にいうと今われわれが緑を守るというのは、将来の子供たちが本当に情緒豊かな、いい感じの、女性ではなくて大人になってもらいたいからです。そこで、あとちょっとしかありませんので。

21世紀食農と環境の時代のライフスタイル

わたしは『環境市民とまちづくり』という本を編集しました。『自然共生編』と『環境共生編』と『地域共生編』というふうに三つに分けました。つまり、これからの社会の目標は何かというと、三つの共生だというのがわたしの結論であります。

生き物との共生。これを自然共生、生物的自然との共生ですね。森なんかもそうです。昆虫も鳥もみんなそうです。また水もそうなのですね。そういう生き物と一緒に生きることによる幸せというのが我々にあるんですよ。われわれ自身も生き物ですからね。例えば、天下の名園桂離宮に……。桂離宮にはあんまり子供は入ってきませんが、平安神宮ぐらいだとたくさん来ます。そこで、「名園だから風景がいいな」なんて、だれも思っていません、子供は。ヒゴイがゴチョゴチョ泳いでいると「わーっ」って言ってね。小さな子供はコイのほうに関心があります。動物は動物に関心があるのですよ。ですから斜陽の遊園地は、大体昔はチンパンジーとか飼ったものなのです。子供が寄ってくればお母さんが寄ってくるから、一応商売になったんです。だから、盆栽のようなもの見て「ああ、いいな」なんていうのは、よっぽど経験がないと分からないのです。だから、前におられるような方が盆栽を好まれるのです。経験豊かだから、動かないものからその50年、100年の風雪を理解できるのですね。想像できるわけ。小さな子供は生の動物ですから、動くものにしか反応できないのです。いずれにしても、そういう世代による違いはありますけれども、生き物との共感というのは人間ならみんな持っているわけです。

あとは、電気とかエネルギーとか、そういうガスとか、いろんなものとエネルギー系の共生ですね。リサイクル。それが環境共生。最後は地域共生。これちょっと言っておきたいのですが、都市と農村の共生。発展途上国と先進国の共生です。今までわたしたちはそこを忘れていたのですね。この首都圏は、もっぱら都市化することが善だと思ってやってきたのです。そして周りの農地は、あんなのは余分なもの、いずれ宅地にする場所だと思ってきたのです。そうじゃないのですね。都市的なものと農村的なもの両方が必要だっていうことですね。農村が持っている良さを都市に与え、都市が持っている良さを農村に与える。都市が持っている良さは二つしかありません。金と人です。ここにおられる市民の皆さんが、農地でも里山でも保全する力を貸してください。少し金も出してください。だって、農家よりは持っているんだから。時間も余裕があるかもしれない。ボランティアとはそういうことです。もう一つ。林地が持っている、森林や農地が持っている自然ですね。自然の豊かさ。それを提供します。そうやってお互いにないものを出し合う。男と女が、それぞれ男らしく女らしくというのもそうですね。こういうのを共生という。発展途上国と先進国もそういう関係のはずなのですね。そういうことをきちっとやれば、ああいうテロにはならないはずなのです。これをわたしは地域共生と呼んでいます。

こういうふうに生き物との共生、環境との共生、そして地域同士の関係、あるいは都市と市民、都市民と農民、そういうのがつながることが大事だと思っています。そのときに大事なことは、大きく全体でとらえるということです。一目りょう然という言葉がありますね。これいい言葉でしょう、一目りょう然。一目見れば全部分かる。細木数子みたいですね。ぴたっと当てる。当たるかどうか知りません。

自然と環境を考えるときには風景の目で見る。そして資源。どこにそういう森があるか、どこに田んぼがあるか、畑があるか、海があるか、川があるかですね。歴史があるか。これ資源ですね。そしてそれを技術・政策・計画、そして最後運動です。運動として、つまり市民がみんなで力を合わせて、企業・行政・市民とパートナーシップを組んでやっていくということですね。緑地の保全運動は市民と行政のパートナーシップです。

わたしはこの『NPOマネージメント入門』という本を編集しましたのは、緑地を守るためには、単に緑地保全地区という地図に色塗って残っているというのでは駄目だと思ったのです。そこへ来てもらって、本当にここで、例えば間伐をして、木の枝下ろしをやったり、枝打ちをやったり、下刈りをやったり、そういう作業を通じて自然と付き合う。

わんぱくの森

竹林によって、今、日本中荒れてしょうがないのですよ。みんな守るということはいいことだと思っているのです。竹林なんて切らなければ駄目なのですよ。髪の毛と同じなのですよね。切るから新しいのがピッと出てくるわけです。今日本中の竹林は、枯れた竹がやたら混ざってびっしりですよ。「やぶ」というけど、本当のやぶのようです。竹を使わなくなった。造園会社までそうですね。垣根とか建仁寺とか、あれみんなプラスチックですね。今、農家も畑で差し込む支柱は、全部グリーンの塩ビの棒ですものね。竹は腐って土に戻る本当にいい農業用資材なのですが、竹を切らなくなってしまった。本当は竹をかごで編むこともできたし、水鉄砲にもなったわけですね。あんなに再生産、つまりいくら切っても次に毎年出てくるようないいリサイクル資源を全然利用しないで、あたかもそこは守っているように思っている。

身近な自然というのは、とことん使ってやることが生かすことなのです。これが自然保護という言葉ができすぎたから、何にもしないで触らなければいい、アンタッチャブルならいいと思ってしまう。そうじゃない。自然は使ってこそ意義がある。とことん使うべきなのですね。使い込まなければいけない。金は使い込まないほうがいいけれども、自然は使い込んだほうが良くなる。そういう自然もある。そうでない自然もありますけどね。そういう意味で、もっと自然を生かそうと。それにはNPOを作って、グループを作って仲のいい人たちが集まって勉強会をやる。活動資金がないので、じゃ財団がいっぱいありますから、トヨタ財団、ミドリファンド、富士フィルムですかね。その辺いっぱいあるのですね。それをどうやってお金をもらってきたらいいのかというようなことを書いた本です。もちろん活動のグループのいろんな事例も入れました。あとはちょっと余分なことだから、でもちょっと戻して。これ、もう常識なのですけど、皆さん覚えてください。特に行政の人はね。人、物、金、心、仕組み、仕掛けといいます。何ごとをやるときにもこの六つ考えなければ駄目です。どういう仲間、人とやるか。物。どういう施設や場所があるか。ここのような施設が、借りられるかとか。お金がどれくらい必要か。やる気がどうか。そして仕組み。制度ですね。仕掛け。いろんなイベントなんかがそうです。

そうして、わたしが皆さんに今日提案したい最後のイメージはこれです。わたしは農大の人間であることもありますが、緑屋として思っておりますのは、21世紀、「食農と環境の時代」と書きましたが、人間やっぱり食べることに関心がある。しかし、その食べ物が本当に安全かは、農業を健全にしなければならない。だから、農業を無視しては困るのですよと言いたい。そして環境。つまり、食と農と環境をワンセットで考える。そういうライフスタイルを国民みんなが持たなければならないのではないか。こう思っております。そこで、都心ではさっき言いましたように屋上田んぼ。森ビルの屋上田んぼ、六本木じゃないけれどですね。コンパニオン・アニマルというのは動物と触れ合うペットなんかのことであります。あるいはガーデニングですね。あるいはセラピー、ボランティア、学校農園、水辺の学校って、いろいろ書きました。園芸療法、園芸福祉。里山の保全運動、グリーン・ツーリズム、田園居住、田舎暮らし、田んぼの学校と書きました。

千葉県6市緑のネットワーク今後の展開

最後、エコ・ツーリズムであります。 わたしは今まで、東京ディズニーランドも大事ですし、行っていただいてもいいですけれども、レクリエーションも結構ですが、そういう刹那的なものだけではなくて、継続的に自然と触れ合いながら、なおかつそれを通じて自己研鑽といいますか、自己実現、自分自身のものの感性とかスキル、ノウハウ、いろんなものとの付き合い方の知恵、そういうものが高まっていきます。いわば体験型の学習なのです。そういうものをやる。いろんな自然といろんな付き合いをやることがどんなに豊かな人生になるか。ライフスタイルです。暮らし方ですね。そういうものをみんなで持ちたいものだと思っています。農業でいえば、下の段に書いたように、こちら市民百パーセント。都会に住んでいる市民は、子供のときは学校で学校農園をやる。遊びながら農をやるというのは市民農園のことです。クラインガルテンです。

そして、農家を応援するのが援農といいます。逆に農民も、農業専門で頑張るのを精農、篤農といいますが、「いや、子育てのために楽しくやるのもいいじゃないか」って、これ楽農と呼びました。わたしはそれ以外にたくさんの「○○農」というのがあると思うんですね。おひとり、おひとりが自分の「○○農」を見つけてほしい。そして、全国民第5種兼業農家化です。わたしは、第2種までしか統計上はありませんので、これは勝手な言い方なのですよ。第5種と言っているのは、わずかでもいいから農とかかわってほしい。ふるさとから宅配便で取れた野菜を買ってあげる。1割高いけど、ふるさとの農業を応援するためだと、こう思ってくださるそういう気持ちがある方は、それですでに第5種兼業農家であるとわたしが認定します。そういうふうに考えてほしい。ちょっと農業に力が入りすぎたかもしれませんが、わたしの大学に免じて勘弁していただきます。 下に書いたような、コラボレーションとかパートナーシップ、いろんな言葉が出てきました。皆さんの活動でそういう新しい21世紀を是非つくっていただきたい。そのためにこそ緑のネットワークが必要だということを申し上げてお話を終わります。どうもご清聴ありがとうございました。

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